『アメリカンサイコ』 60点

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あらすじ

1980年代後半のマンハッタン・ウォール街を舞台に、投資銀行でVice President(課長相当)を務める一方で快楽殺人を繰り返す、とてつもなくハンサムな主人公・・・です。

まず、この映画を観るにあたって、ひとつだけ、

「サイコとサイコパスを混同しないように」

と、言っておく。

さもないと、私みたいにこの映画を楽しむことができなくなってしまうからだ。

サイコ・・・精神異常者、クレイジーな人といった意味で使われるスラング

サイコパス・・・精神病質者を指す専門用語。共感性や罪悪感の欠如、衝動性などの特徴を持つ人格特性を指す。

つまり、サイコとサイコパスは、似て非なるということだ。

サイコパスはビジネスで大成功を収めた人に多いみたいなことをネットで読んだ。

それは、その特徴に当てはまる。

・恐怖心が欠如しているから、大胆な賭けに出れる。

・共感性が欠如しているから、ビジネスと人間関係を切り離せる。

・罪悪感が欠如しているから、自身の成功のみに集中できる。

つまりサイコパスは頭がおかしいのではなく、むしろ高い知能をもっていたりする。

一方のサイコは、ただのクレイジーなので、恐怖心や罪悪感を持っている可能性は否定できない。

なぜなら、相手や物ごとにたいする恐怖心や罪悪感があるから、逆に攻撃的になるという可能性が十分に考えられるからだ。

このことを私は知らずに、

サイコ=サイコパス

と単純に考えていた。

だから私はパトリック・ベイトマン(クリスチャン・ベール扮演)が、自身の殺人が発覚しそうになったとたんに、見苦しいまでにうろたえる描写に「ん?」となってしまい、映画に没入することができず、消化不良のまま鑑賞終了となってしまった。

さらに、昼間はエリートサラリーマンで裏の顔は残虐な殺人鬼という先入観もあわせ持っていたので、ベイトマンと同僚のあまりにも幼稚な会話と、小学生なみの見栄のはりあいにうんざりとしてしまった。

とてもじゃないが、私が想像していた物語とはかけ離れていた。

私が理想とするサイコパス(おいおい)は、

「悪の教典」の高校教師、蓮実聖人司(伊藤英明扮演)と「ノーカントリー」の殺し屋、アントン・シガー(ハビエル・バルデム扮演)が至高である。

たぶん、サイコという言葉を全世界に広めたであろう、アルフレッド・ヒッチコック監督「サイコ」のノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス扮演)は、ちょいと違う。

クリスチャン・ベールは大好きな俳優さんなので、ぜひともこの映画で至高のサイコパスを演じて欲しかった。

あっ、演技が下手という意味ではないですよ。

十分に演じきっていたとおもいます。

それに、バチくそイケメンですし、本当に同じ人間とはおもえない、つくづく神なんてものは存在しないのだなと再確認させられる。

映画を観てしばらくして思うのは、

「しょせん、エリートといってもこんなもんでしょう」

というメアリー・ハロン監督・脚本の皮肉を感じずにはいられない。

先入観を持たずにフラットに観れていれば、この映画に対する評価はガラリと変わったはずだ。

本当に残念。

結局のところベイトマンが本当に殺人を犯していたのかは観る側にゆだねられてしまっている。

私ごときがこの映画を一回観ただけで理解しようとするのは、無理難題ということだ。

「だったら、2回3回と観れば?」

いや、申し訳ないが、そこまでしたくない。

一回で結構です・・・あれ?

なんだかんだ言って、その程度の映画ってことか・・・。

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